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グチばかりですみません

考え始める勇気

日報や議事録のTODOにある「どのようなことをすればよいか調査する」のような一文にモヤモヤを抱いたことはないでしょうか? 最近、やっとこのモヤモヤを言語化することに成功しました。

これはズバリ 「誰でも分かる方向性だけ示して具体性がない」 ということだと思います。

方向性というのは割と誰の目にも明らかであり、「調査する」ことに異論は無いはずです。しかし、そのみんなが知りたいのはその具体的な調査内容や調査結果なので、あなたが先陣を切るのであれば「〇〇ができるかどうかを調査する」の〇〇をできるだけ具体的にすべきでしょう。

では、なぜ「どのようなことをすればよいか調査する」と、誰でも分かることを言ってその場を濁してしまうのでしょうか。

人間というのはわかりきっていることをするのは簡単なので大好きです。一方で、まだ何をすればよいか分からない・成功するかどうかも分からない不確実なものは非常に億劫に感じられるのです。そんな億劫に感じる自分を自覚して克服できなければ、可能な限り長くうやむやに放置してしまいます。頭を使うことが大きなコストに感じられるから、一見まっとうに見える事を言ってやり過ごしているだけなのです。それが「どのようなことをすればよいか調査する」の正体だと僕は思います。

一方で、進捗を期待する他者にとってはより具体的な方向性が見えていないと不安ですし、信用して任せることができません。鋭い人は「何をどう調査するの?」と追求してくるでしょう。そのようにお互いストレスを抱えたくなければ「考え始める勇気」を振り絞り、頭を使って方向性を具体的にしましょう。

そうすれば、信用してもらうだけでなく、有益なアドバイスをもらうこともできて一気に物事が加速するようになるでしょう。

方向性を具体的にする・しっかり考えるということを終えた後に気づくことがあると思います。

それは意外と簡単だった ということです。

しかし喉元を過ぎればの逆で、次に同じシチュエーションに遭遇したときには「めんどくさそう・・・」と思ってしまうのが常です。

では、この「めんどくさそう」「意外と簡単だった」の正体を図解してみましょう。

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考え始める前には考えること自体が億劫で、大変な作業だと思っているかもしれません。そして先延ばしにして期限に迫られて実際に考えてやってみると意外と簡単だった。

これは結果だけ見れ先延ばしにしたぶんの時間はただの「考えたくないというストレス」だったということになります。しかし、この無駄さえなければ他のメンバーにどれだけの時間が生まれたでしょう。

もちろん、このような経験が身に沁みるのは極限状態に置かれて有無を言わさず考える・実行するの連続を経て体(脳筋?)がクセ付けされて初めて体験として覚えることだとは思います。しかし、できるだけ早くこういうテクニックを身につければ、簡単に仕事量を何倍にも伸ばせるような気がします。

「考え始める勇気」を持てば、自分にも周りにも多くの時間を生み出すことができ、それがひいては大きな生産性につながるのだと思います。